研究概要
設計の新パラダイムを拓く新しい離散的な曲面の幾何学
アウトライン
職人の技を基礎に、高度な工作機械を発展させることで、日本のものづくりは世界に誇る水準に成長しました。しかし、いわばこの成功ゆえに、人材とハードウェアの力を引き出すソフトウェアの重要性の認知に立ち遅れ、高い人件費とあいまって高コストを克服できず国際競争力が低下しました。この傾向は、特に設計の分野で顕著です。
本研究プロジェクトでは、数学と情報科学を基盤とし、広く設計・製造に革新をもたらすプラットフォームを開発します。これにより効率化・低コスト化にとどまらず、美とアート性を備え、安全・安心を担保する構造物設計を可能とします。数学・情報科学の専門家がタッグを組み、設計諸分野の専門家が参加する混成チームにより、設計・製造における共通の課題を抽出し、数学的な定式化を与え、実用可能なソフトウェアを実装します。理論から実践まで一貫して扱うところが、本研究プロジェクトのユニークな点です。
建物、船や飛行機、車などの大型構造物から、家具、家電製品、梱包材にいたるまで、あらゆる形状は、見た目の美しさと同時に様々な仕様・制約を満たすように設計されています。設計諸分野では独自にノウハウが蓄積されている一方、共通の枠組みの欠如により、知識の断絶が起きています。分野間の共通の課題を抽出する数学として、本研究プロジェクトでは「可展面を形状要素にもつ離散曲面の幾何学、および、その離散変分原理」を取り上げます。金属など板状の材料から構造物を製造する上で、ガウス曲率がゼロである可展面を形状要素とする幾何学が自然な枠組みです。その上でさらに、代表者らが研究してきた「美的形状の理論」を展開することで、物理制約とアート性を両立させる設計パラダイムを構築します。この新しい離散的な幾何学の上に、構造解析・最適化の理論と手法を構築し、広い対象に適用可能な革新的設計ソフトウェアプラットフォームを開発します。
数学をハブとして知識を再統合し形状の幾何学に昇華させることで、緻密で美しい製品を生み出すが高コストに苦しむ日本のものづくりを 数理資本主義 の力で再生させることが最終的な目標です。
本提案の背景となる社会的な課題
日本のものづくりの再生のためには、デザインや安全性の品質を向上させつつ効率化と低コスト化を図ることが喫緊の課題です。本研究プロジェクトに向けた計画参加者の議論で、以下の点が洗い出されました。現在、設計分野ではNURBS(非一様有理B-スプライン)曲面と呼ばれる曲面を標準モデルとする形状設計が主流であり、次のようなプロセスで進められます。
- 形状を標準モデルのNURBS曲面として近似表現、
- 多面体近似して構造解析、
- 施工可能な形状モデル(可展面など)で近似して製造プロセスに回す。
新たな要求仕様や不十分な解析値を得た場合は再設計となりますが、この工程で以下のことが問題となります。
- NURBS曲面は材料による特性を反映しないため、構造物の製造を最終目的とする設計にはそぐわず、高コスト化の一因となっています。
- NURBS曲面によるアート性の高い形状の設計はデザイナーの熟練を要します。また、現状の設計工程では、要求仕様から来る潜在的な制約のため設計者が萎縮し、創造性が制限されています。
- 現状では(a),(b),(c)各プロセスで異なる形状モデルが用いられるため、モデル変換の際の近似により品質と安全性が劣化するだけでなく、工程間の行き来が制約されて効率が低下しています。
また、以下の事項も大きな問題です。 - 設計分野では対象とする分野の特性に応じて、形状を取り扱う多様な技術が発達してきましたが、共通プラットフォームが欠けているため、それらが十分に設計分野全体で共有されていません。
本研究プロジェクトの目的
本研究プロジェクトでは、建築、造船、工業意匠などの広い範囲の「設計」に着目し、上記の課題を克服し、「美とアート性」を備えた「安全・安心」な構造物を、「効率的・低コスト」で設計することを可能にする、革新的な双方向循環型設計プラットフォームを開発します。この目標を達成するためのさまざまな数学的課題を包括的に取り扱うことができる理論的基盤として、性質のよい連続曲面を形状要素にもつ離散曲面の幾何学、および、それに必要な新しい離散変分原理を創始します。特に、建築や造船にかかわる設計における構造物を造る際の制約から、ガウス曲率がゼロである可展面を形状要素とする幾何学を重点的に開拓し、そこに工業意匠設計分野で培われた「美的形状」の理論を取り込みます。計算幾何学において、紙を曲げることで現れる滑らかな曲面が含まれる形を対象とする、近年の折紙設計のニーズから発達してきた可展面を取り扱う技術と,(離散)微分幾何を融合させ、広い設計分野に適用可能な普遍的な幾何学として昇華させます。この理論的枠組みに基づき、構造最適化などの手法と組み合わせ、力学的合理性を備え、施工性に優れ、かつ幾何学的に性質のよい形状設計を直接可能にする革新的なソフトウェアプラットフォームを構築します。すなわち、本研究プロジェクトの目的は以下のようになります。
数学をハブとして、設計諸分野で独自に蓄積され断絶している知識を再統合し、数学と計算幾何学の協働でそれらを包摂する新しい「形状の幾何学」に基づく革新的な設計パラダイムを創出すること。
以上の研究により、課題(i)-(ⅳ)が次のように解決されます。得られた成果は、緻密で美しい製品を生み出すが高コストに苦しむ日本のものづくりを数理資本主義の力で再生させる1つの基盤となります。
- 形状要素として特に金属板などの素材を曲げて作ることができる可展面を採用することで、そのまま製造可能な形状設計が可能になり、デザイン→解析→改良のサイクルの大幅な効率化とコスト低下を実現できます。
- 美的形状の理論を取り込むことで、美とアート性を備えた形状の設計が格段に容易になります。また、離散曲面上に適切な離散曲率の概念を定義し、曲面間の距離を導入することで、構造安定性や施工性の差を定量化・予測できるようになります。離散変分原理と構造最適化手法の組み合わせで、力学的剛性などの特性の最適化が容易になり、安全・安心な美的形状の設計が実現できます。それによって材料や構造上の制約に合わせて、設計上の要求を満たす曲面クラスでのデザインや解析が可能になります。このような「逆方向目的型」のソフトウェアによって双方向循環型の設計プラットフォームが実現でき、設計の効率と創造性、構造物の品質・安全性が飛躍的に向上します。
- 連続曲面の近似としての曲面の離散化ではなく、最初から離散的な曲面論を基盤としてその上での解析手法を構築するため、計測データを直接活用でき、データの取り込み、設計、解析、シミュレーション、可視化が質を落とさずに1つのプラットフォームで可能になります。
- 計算幾何学と数学、設計分野の協働で、アート性の高い形状の効率的な設計や、可展面による形状生成技術の活用が広範囲で可能になります。例えば、災害時に用いられる、可搬性が高く頑丈で、かつ見た目も美しい仮設構造物など、新しい膜構造やシェル(曲面板)構造の設計が容易になります。
理論的には、最近発展が著しい、同一平面上にある四辺形要素を形状要素として離散曲面を構成する離散微分幾何の一般化の枠組みを作ることに相当し、挑戦的で新規性が極めて高いものです。
本研究プロジェクトの領域の目的達成への貢献と科学技術上のインパクト
CRESTの領域の目標として3項目が提示されていますが、本プロジェクトは全ての項目に応えることができます。
- 数学の発想を取り入れた新たな情報活用手法の創出に資する理論及び技術の構築
- 数学・数理科学と情報科学を繋ぐ新たなサイエンスの創出 計算幾何学・折紙工学で発達した可展面を扱う技術に(離散)微分幾何の手法を取り入れ、適用範囲の広い新しい理論的枠組みと、それに基づく革新的ソフトウェアプラットフォームを構築します。それによって形状の幾何学を基盤とする、情報科学と数学を結ぶ新たなサイエンスが創出されます。数学的な挑戦として、デザイン性・解析性と統制可能な特異性を有する曲面クラスの定義、その上の流れの解析や離散変分原理などの解析手法の構築、動的解析などがあり、そのために、離散微分幾何、大域解析学、実代数幾何や計算機科学などを統合した新分野が創出されることになります。
- 様々な分野や産業界における情報の活用を加速・高度化するデータ解析アルゴリズムやソフトウェア等の次世代アプリケーション基盤技術の創出 数学と計算幾何学の協働で、既存の標準的技術と数学的基盤を実際の設計で直接使用する要素で置き換えるため、設計の品質と効率性が大幅に向上します。また、実測・実験データを直接取り込んで処理できるので、実験・シミュレーション・設計の統合プラットフォームを実現する基盤となります
本研究プロジェクトにより、新しい離散的な形状の幾何学が創出され、幾何学・解析学・離散数学と計算幾何学をまたいだフロンティアが形成されます。実用面では、工業意匠設計などを含む広い設計分野でアート性と安全性が高い構造物の設計が低コストかつ効率的に可能になります。設計分野にイノベーションがもたらされ、ものづくりが活性化することになります。